アフリカとの出会い51

 
 アフリカ人の底力   

  アフリカンコネクション 竹田悦子

 2011年3月11日、私が住む相模原でも震度5という大きな地震になりました。その後に続く停電、計画停電、余震、ガソリンや食料の不足、交通機関の乱れ、原子力発電所の爆発、被爆の恐怖など未曾有のことが次々に起こっています。

 日常生活を続けながらも、恐怖・不安・心配は尽きません。しかし、ケニアから来た私の夫は、なぜか普通で、すべてのことがあまり気にはなっていない様子です。もともと楽観的な性格ですが、友人のケニア人女性の家へお見舞いに訪問した時も、彼女から受けた印象も同じようでした。「ケニアの人は、不安は感じないのか?」と私は疑問に感じました。

 夫の職場は、実際は、建物が部分的に倒壊し、暫くは仕事が出来ない状態になっています。地震が起こった当日、彼はたまたま休日で遠方へ出掛けていましたので、電車が止まり被災難民になりました。電話も繋がらず心配しましたが、やっとの思いで帰って来た時も普通にいつも通りに「ただいま」の一言でした。「大丈夫だった?とか、何か他に言うことはないのか?」と私は思いました。又、ガソリンがない、灯油がない、水が危ない…等々言われていますが「だから何?」という感じで慌てもしないし、何かを備蓄することもありません。

 そもそも彼が生活していたケニアの、特に農村部での生活は、地震直後のライフラインがない状態と同じです。夜になると、小さな灯油ランプやろうそくで部屋を灯し、水は川や井戸から汲んできてタンクに入れてあるものを適宜使うか、家に備え付けてある大きなタンクに溜めた雨水を使うか、火はマッチで点火し、石炭か薪を使って料理をします。その日の食べるものは、畑から収穫してきてその日のうちに食べます。忘れてはいけないのが、常用してある「保存食」です。蔵に入れて乾燥させた各種さまざまな豆類やとうもろこし、小麦粉、米などは、収穫するものがなかった時や冠婚葬祭などの時に食べます。

 仕事で都市へ出る前の26年間をこのような生活をしてきた彼は、生活で必要なすべての物を自分自身で、土・水・火から作り出す事が出来ます。

 日々の生活の体験から、人が生きる為に何がどれくらい必要なのか。種から野菜のなるまでにどれくらい時間がかかるのか。夜になって見えなくなる前に、明るい朝・昼の間に何をしておかなければいけないのか。水は一日どのくらい必要で、雨が降らなかったときのためにどれくらい溜めておかなければならないのか。保存食料はどのくらいあれば収穫がなくとも生きていけるのか。何かを煮炊きするのに必要な燃料はどのくらい必要なのか。人はどれだけ食べればどれだけ動けるか。

 一言で表せば、「どうすれば人間は生きられるか?」を考えなければならない状況を子供の頃から繰り返し体験しながら成長して来ているのです。彼が生きてきた毎日の生活には水道も、ガスも、電気もありません。あるのは、土と水と火だけなのです。

 生まれたときからインフラが整備され、生活の基本的な部分で時間や労力を使うことが少ない私には、「非常のための備え」を用意することは必要です。日本での生活では野菜を育てる知識も、水を汲むことも薪を拾うことも必要ありません。しかし20代の後半の2年間をケニアで過ごした生活は、今にして思えば、生きる為に必要な「知恵」をいろいろ教えてくれていたのだと、今回の地震で気が付きました。

 津波や地震で亡くなられた方や被災した方の悲しみ、苦しみは他の何にも比べられるものではありません。原発に関わる事故も他に類を見ない災害です。しかし、日常的に人の死が身近にあるアフリカは、人間はすべてを乗り越えていく力があると教えてくれます。アフリカの人々が、日々絶望の中に見る希望や悲しみの後に知る喜びを、私は日本の人々もきっと見出す日が来ることができると信じています。

 在日のケニア人の言葉。

 「人生は希望に満ちている。そう信じさえすれば」

 「知恵を味方につければ、人はどこにいても生きて行ける」

 私のもとにはアフリカからも沢山の激励の言葉が届いています。私から見れば、激励の言葉を送ってくれる彼らの状況も辛い事実を沢山抱えています。以前、わんりぃ紙上でも紹介した失踪中の叔父さん家族からも「頑張って、日本」と電話で心配してくれています。

 まずは今の生活を見直しながら、便利さに頼り過ぎない生活を心がけて、自分で生きる力を忘れないように努めたいと思います。
 


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